2021-03-16 第204回国会 参議院 予算委員会公聴会 第1号
先日、公明党も、この十年を節目とした復興会議、全国の会場と被災三県を結んで、公明党の多くの議員が地方議員さんも含めて参加をし、会議を行いました。やはり十年たって、二つの風とともにしっかり闘っていこうと、風化と風評、二つの風との闘いだと。
先日、公明党も、この十年を節目とした復興会議、全国の会場と被災三県を結んで、公明党の多くの議員が地方議員さんも含めて参加をし、会議を行いました。やはり十年たって、二つの風とともにしっかり闘っていこうと、風化と風評、二つの風との闘いだと。
三案出された、そして、鉄道ならば年間一億六千万円、この負担を自治体に持ってくることは憤りを感じていると自治体の長は言っているんですよ、この復興会議の中で。参加はしていますけれども、私は直接こういう意見を聞きました。 まさにこの三つの案は、JR九州にとってみたら日田彦山線の廃止、廃線の意図が透けて見えるものであると指摘せざるを得ないというふうに思います。
○田村(貴)委員 その復興会議ですけれども、九州運輸局は参加していますよね。どういう立場で参加しているかというと、アドバイザーとして参加されているわけですよ。そのアドバイスの方向が、沿線住民と被災自治体の思いと乖離しているんです。
つまりは、復興会議で漁業組合に代わる漁業権の進出を画策した村井知事の行動に、震災の混乱に乗じた市場原理主義勢力との癒着がかいま見えていたことに対して忠告を行ったというのが事実であります。 そのことをこの機会に皆さんにしっかりお伝えをさせていただき、松本龍先生の御冥福をお祈りさせていただきながら、討論に入らせていただきます。
先日も、各三県では復興会議を開催をいたしまして、私も担当県でございます岩手に赴き、現地も併せて視察をさせていただいたところでございます。七年たちましたけれども、風化と風評、この二つの風と闘い続けていくんだという決意を新たにしているところでございます。
この三月にも、宮城県、福島県、また岩手県で復興会議などを開き、多くの国会議員がこれらの会議と併せて視察や懇談会などにも参加をいたしました。その際に、学んだこと、感じたこと、そして、いただいた声をしっかりと受け止め、これからも復興のために全力で取り組んでまいりたいと考えております。 私は、宮城県に行かせていただきました。
我が党といたしましては、先月、四月十五日に蒲島知事にも御出席をいただきまして公明党熊本県本部主催の復興会議を開催させていただきました。所属全議員が復興担当、こういう決意で被災地訪問を重ねていますけれども、発災から一年たった今なお、瓦れきの撤去率も進捗率六割ということで、創造的復興には程遠い状況でございます。
私ども公明党も、熊本県下におきまして復興会議を行い、改めてこの復興に向けての取り組みについて確認させていただいたところでございます。
昨日は、公明党、被災地各地で復興会議を行いました。ハード面では着実に復興が進んでおりますけれども、やはり大切な人を亡くした悲しみ、また生活への不安、こういったところにこれからも寄り添いながら、心の復興、人間の復興を公明党として目指してまいりたいと思っております。
その結果、このカンボジア復興のための復興会議というのを日本でやっています。アフガニスタンもそうですね。ドイツのボンでアフガン和平の調印式をやって、その一か月半後に東京で復興支援会議をやっています。
我々公明党は、この五年の節目を迎えた中で、十二日には岩手県大船渡市そして福島県いわき市で、それぞれ復興会議を開催させていただきました。また、十三日には宮城県石巻市において復興会議を開催させていただきました。我が党の地方議員の皆様と、また公明党は各被災地に担当国会議員を配置させていただいておりまして、その担当国会議員がそれぞれ集ってこの復興会議を開催させていただいたわけでございます。
先日、三月に、我が党でも東北の復興会議というものがございまして、福島県の皆様から、風評被害にも直結する問題であるこの廃炉、汚染水対策、やはりしっかりとやっていただきたい、こういうこと、改めて御意見をいただきまして、やはりしっかりやらないといけないな、こういう思いを新たにしたんです。 ただ、私、以前にも、福島第一原発視察もさせていただきました。
ただ、防災会議でありまして復興会議ではありませんので、復興だけを前面に出すという会議ではありませんでしたので、ただ、仙台でやるということで、我々は、復興庁、前へ出ようということでいろんなプログラムも組ませていただいたことは事実であります。 ビルド・バック・ベターという言葉がございますが、津波の被災地はまさに今それをやっておる。
山田 四郎君 参考人 (福島県川内村長) 遠藤 雄幸君 参考人 (南相馬市立総合病院副院長) (広島大学客員教授) 及川 友好君 参考人 (塩釜商工会議所会頭) 桑原 茂君 参考人 (名取岩沼農業協同組合青年部委員長) 今野 裕章君 参考人 (石巻魚市場株式会社代表取締役社長) (石巻市水産復興会議副代表
○須能参考人 復興には、先ほどお話がありましたスピードが大事だということで、震災の年の三月三十日に我々水産業界は第一回目の復興会議をつくりました。それで、定期的に開催しておりまして、今月の十六日で第四十九回を迎えます。
午前に引き続き、参考人として、塩釜商工会議所会頭桑原茂さん、名取岩沼農業協同組合青年部委員長今野裕章さん、石巻魚市場株式会社代表取締役社長・石巻市水産復興会議副代表須能邦雄さん、宮城県女川町長須田善明さん、東日本大震災復旧・復興支援みやぎ県民センター代表世話人綱島不二雄さん、有限会社かくりき商店専務取締役小堀内将文さん、以上六名の方々に御出席をいただいております。
それで、三月の十日の日に我が党の東北復興会議というものを仙台でやりました。山口代表を中心にしっかり取り組もうという形でスタートを切らせていただいたわけでございますが、この東北に、津波とか、それ以外に結構、震災後、震災も含めて、仙台に亜炭鉱の廃坑が実は多くございます。それで、たしか四百七十か所ぐらい陥没があったと思いますけれども、要するに山の中ですよね、亜炭鉱。
二つ目に、三月十日、震災の二年目の前日でございましたが、我が党は東北におきまして復興会議を開催させていただき、担当の国会議員そしてまた東北の全議員が集まりまして、三年目への誓いを新たにいたしました。
会議におきましては、宮城県漁業協同組合経営管理委員会会長菊地伸悦君、石巻魚市場株式会社代表取締役社長・石巻水産復興会議副代表須能邦雄君、仙台経済同友会代表幹事・アイリスオーヤマ株式会社代表取締役社長大山健太郎君及び建築家針生承一君の四名から意見を聴取いたしました。
土井 亨君 西銘恒三郎君 橋本 英教君 若宮 健嗣君 玉木雄一郎君 原口 一博君 東国原英夫君 山田 宏君 佐藤 英道君 柿沢 未途君 玉城デニー君 (2) 意見陳述者 宮城県漁業協同組合経営管理委員会会長 菊地 伸悦君 石巻魚市場株式会社代表取締役社長 石巻水産復興会議副代表
○須能邦雄君 私は、今回の震災で、必ず日本から支援してもらえると思ったのは、この三陸の魚は日本の宝であるし、この加工技術は国にとって大事なものである、だから、海の恐怖があって船に行かないというようなことなく、船は国がつくりますからぜひ海に行ってください、そして魚を加工してください、必ずそういうふうに国が言ってくれるんだから、私は、この復興に対して全くの不安を持っていなくて、今、復興会議でやってきています
この復興会議の取りまとめの成果をいかに実行するのか、復興大臣のお考えをお聞かせください。
公明党におきましても、昨日、現地で東北の復興会議を開催いたしました。内閣として東北の復興の加速に全力を挙げていただきたい、そのことを申し上げ、質問に入ってまいりたいと思います。 先日、我が党の斉藤幹事長代行は、生活困窮者支援制度について質問させていただきました。教育、就労、住宅、こうした具体的な支援が生活保護からの脱却には極めて重要である、そのことを質問させていただきました。
特に、例えば被害の大きかったつくば市でございますけれども、復興会議というのを本日立ち上げるということで承知しておりまして、例えばそういうところに職員をオブザーバー派遣をして、そして現地ときめ細かく膝詰めでの意見交換をしながら、今後の対策について引き続き意見調整をして適切に対応していくということでございまして、こうしたことを更に継続していきたい、そういうふうに考えております。
その中で、調整力というものは、私、実は東日本大震災のときに危機的状況にあったときに、ちょうど岩手県の大槌町というところで、震災が起きて三カ月ほどたったときに、町長もいらっしゃらないという中で市民の方たちがお集まりになったときに、子供たちのための復興会議というのを開いた経験がございます。